ウズベキスタン観光情報 ウズベキスタン旅行記とエリアガイド

ユーラシア大陸の中心『ウズベキスタン』の旅行記&エリアガイドです。
かつてシルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンには、
古都サマルカンド、聖なるブハラ、博物館都市ヒヴァなど、
今も多くのイスラム建築遺跡が存在します。
当サイトでは、日本ではまだあまり知られていないウズベキスタンを様々な角度から紹介します。

タシケント観光

タシケントの基本情報

中央アジア最大の都市タシケントです

ウズベキスタンの首都タシケント(Toshkent・タシュケント)は、ウズベキスタンの北東部に位置する人口約220万人の中央アジア最大の都市です。
タシケントとはテュルク語で『石の町』を意味します。

1966年に起こった直下型大地震によって、一度はタシケントの街は壊滅状態になりました。
しかし 懸命な復興努力の結果、見事に近代的な街に生まれ変わることができました。
道路の道幅も広くてたくさんの自動車が走り、また中央アジアで2つしかない地下鉄が走っている都市でもあります(もう一つはカザフスタンのアルマトイ)。
町を行く人たちの格好も、イスラム風の人はほとんど見かけず、洗練された都会的なファッションが多いです。

またシルダリヤ川から大量の生活用水を引き込んでいるので、非常に水が豊富な場所でもあり、街の各地に噴水が見られます。

タシケントの街には緑が多いです

タシケントはウズベキスタンの他の観光地と、まったく様相が違って見えます。
他の都市でいたるところで見られた『砂の色』があまりありません。
その反面『水の青』と『木の緑』が多く見られ、人工的な自然が多い都会といったところです。
前述の大地震と1917年のロシア革命で古い町並みがかなり破壊されてしまったため、歴史的な建物の数が少ないせいもあるでしょう。

しかし、旧市街と呼ばれるエリアにはマドラサバザールが幾つかあり、やはりウズベキスタンの街なんだなぁと実感できます。

また、ウズベキスタンではサッカーが盛んで、タシケントにはパフタコールスタジアム(パフタコル競技場)というなかなか立派なサッカー場があり、また街の各所には小さなサッカー場も見られました。
サッカーのウズベキスタン代表は日本代表ともワールドカップ予選で戦っています。

ティムール広場

ティムール広場の中心には騎馬姿のティムール像があります

ティムール広場はウズベキスタンの首都タシケント新市街の中心地にあり、宿泊したタシケントパレスホテルからも2km弱くらいと徒歩圏内でした。

ティムール広場は広々とした公園です

ティムール広場は緑豊かな公園で、多くの人が散歩や休憩に来る場所になっています。
広場の中心には騎馬姿のティムールの像が立っていて、その像が指を指す方向には賑やかなブロードウェイ(サイールゴフ通り)が走っています。
ティムール像が指差すのとは逆の東側には、主要な道路が放射状に何本も伸びています。
これらの道路は・プロレタリア通り・マルクス通り・共産主義者通りという旧称だそうで、いかにも旧ソ連といった感じがします。

像が立っているだけの広い公園なのですが、場所もわかりやすいので待ち合わせなんかに使うと良いのではないでしょうか?
広々とした公園で気分も良いです。

なお、この右手を掲げたティムール像は、500スム札の絵柄にもなっています。

ブロードウェイ

サイールゴフ通りはブロードウェイと呼ばれる歩行者天国になっています

ウズベキスタンの首都タシケント新市街の中心、ティムール広場の西側に伸びるサイールゴフ通りは、ブロードウェイと呼ばれる歩行者天国になっています。
オープンカフェやオープンカラオケ、土産物屋、露店などが立ち並び、多くの人々で賑わっています。

土産物屋、露店などが立ち並ぶブロードウェイです

端から端まで歩いても1km程度と、それほど距離は長くありません。
緑も多く、歩いていて気持ちの良い通りなので、昼間に散歩するにも丁度良いです。

しかし、ブロードウェイが真の姿を現すのは夜からです。
夜の11時位になると、通りは若者たちで溢れかえります。
夜遊びは楽しいというのもさることながら、ウズベキスタンの昼間は暑くて活動する気にならない、というのも理由の一つのようです。

実際に夜のブロードウェイに行ってみましたが、確かにかなりの人出でした。
「ちょっと危ないから気を付けろ」と言われていたのですが、実際にはそんなことはなく、全く危険はありませんでした。
酔って暴れたり絡んだりする人や、ガラの悪いお兄さんたちもいませんでした。
新宿・渋谷の方が、遥かに治安が悪いと思います。
一応、貴重品はしっかりと抱えて行動しましたけど…。

ブロードウェイは若い人なら行くと必ず楽しめる場所だと思います。
なんかピンク色がドギツイいかがわしそうなお店もあったのですが、お腹を壊して辛かったので入りませんでした。
今となっては、話のネタとしても、ウズベキスタンの風俗を知る意味でも、無理をしてでも行ってみれば良かったかなと思います。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場

タシケントの新市街にあるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場です

ウズベキスタンの首都タシケントの新市街にあるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場です。
道路を挟んでタシケントパレスホテルの正面に位置しており、ブロードウェイティムール広場からも近いです。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は淡い茶色の落ち着いた感じの外です観

1947年に完成した1500人も収容できる劇場で、6つの休憩ロビーは、タシケント、サマルカンドブハラ、ホレズム、フェルガナ、テルメズの6地方のスタイルで装飾されているそうです。
淡い茶色の落ち着いた感じの外観をしていて、玄関正面の大きな噴水が特徴的です。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は日本人抑留者の強制労働によって建てられました

この劇場は、第二次大戦後にタシケントに連れてこられた日本人抑留者の強制労働によって建てられたものです。
裏手にはその旨を説明した碑文があり、以下のように彫られています。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場の碑文には日本人の事が書かれています
1945年から1646年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ—名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

この建物は1966年のマグニチュード8の大地震でもビクともしなかったそうで、日本人の建築技術の高さが語り継がれています。

日本とウズベキスタンの有効の証として、もっとPRしていくと良いのでは?と思う建物です。
ウズベキスタンの親善大使として、歌手の加藤登紀子さんがここで公演したこともあるそうです。

なお、このナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は、かつて1スム札の絵柄にもなっていました。

蛇足ですが、タシケントには『ナヴォイ』を冠したものが色々ありますが、これは15世紀の詩人アリシェル・ナヴォイの名前から取られたものです。
アリシェル・ナヴォイは『ウズベク文学の父』『中央アジアのゲーテ』などと呼ばれているそうです。

ツム百貨店

三階建ての国営デパートのツム百貨店です

ウズベキスタンのタシケントにあるツム百貨店です。
宿泊したタシケントパレスホテルナヴォイ・オペラ・バレエ劇場のすぐ近くにありました。

三階建ての国営デパートで、家電や衣料品、お酒や食器などの生活用品はもちろん、輸入品も多く扱っています。
日本では見られないデザインの物も多く、買わずに見て回っているだけでも面白いです。
『ここは本当にイスラム圏の国か?』と言うくらい、お洒落な洋服や過激な下着も置いてありします。
しかも日本で買うよりは全然安く買うことができます!
当然イスラムの民族衣装やスザニなども売っていて、ウズベキスタンらしいところもあります。

これだけ書くと、とても素晴らしいデパートのようですが、実はそんなこともありません。
建物が古いのは仕方ないとしても、店内がとても薄暗くて、ちょっと陰気な感じなのです。
店内にお客さんの姿は少なく、あまり繁盛しているようには見受けられませんでした。
チョルスー・バザールブロードウェイにあれほど人が溢れかえって、活気に満ち溢れているのとは大違いです。
素人が見ただけでも改善点が山ほど出てくるので、お客さんを呼ぶためにはなんとかした方が良いんじゃないかなと思います…。

チョルスー・バザール

多くの人で賑わうチョルスー・バザールです

タシケントの地下鉄チョルスー駅を出てすぐの場所にチョルスー・バザールがあります。
地下鉄の駅から出ると多くの人で溢れかえっていて、周辺の道路には車の台数も凄いです。
クカルダシュ・マドラサとも目と鼻の先の距離です。

青くて丸い屋根のバザールです

タシケントには大きなバザールがいくつかありますが、『古いバザール』と呼ばれるのはチョルスー・バザールだけです。
チョルスーとは『4本の道で囲まれた場所』という意味です。
バザールの中心に青くて丸い屋根の大きな屋内バザールがあるのが特徴になっています。

大量の野菜や果物が積まれています

屋外では衣類や靴、サングラスなどの日用雑貨が多く並んでいます。
屋根のあるエリアに行くと、大量の野菜や果物が積まれています。
プロフやナン、シャシリク、カットしたフルーツなどが食べられるチャイハナもあります。

香辛料やドライフルーツが山のように盛られています

そして中央の屋内バザールに入ると、香辛料やドライフルーツが山のように盛られています。
とにかく人と物で溢れかえっている場所で、 日常生活で必要な基本的なものは、全て手に入れる事ができそうです。

日常生活で必要なものは何でも揃います

ウズベキスタンで初めて訪れたバザールだったので、その熱気や人の多さに圧倒されてしまいました。
ウズベキスタンの雰囲気を肌で感じるためにも、ぜひ訪れてみてください。
人が多いので、スリにだけは要注意です。

クカルダシュ・マドラサ

チョルスー・バザールすぐ隣りのクカルダシュ・マドラサです

首都タシケントの旧市街の中心地に建っているクカルダシュ・マドラサ(クケルダシュ・メドレセ)です。
16世紀にタシケントを支配していたシャイバニ朝の大臣クカルダシュによって建てられた神学校です。
すぐ隣にはチョルスー・バザールがあり、人でにぎわっていました。

クカルダシュによって建てられた神学校です

かつては罪人や不貞を犯した女性らが、このマドラサミナレットから投げ落とされたといいます。
そして、ソ連の時代は倉庫などとして使われていましたが、ソ連から独立した後は修復されて、再び神学校として135人の学生が勉強中だそうです(2012年現在)。
キレイに整備された中庭の奥には、校長先生と思しき人の特大パネルポスターが掲げられていました。

現在も神学校として使われています

一階の小部屋のいくつかはお土産屋になっていて、小さくて暗い部屋に所狭しと土産物が置かれていました。
小部屋の出入口はちょっと頭を下げないと入れない程度の低さなのですが、これは自然に神に向かって頭を下げさせるためだそうです。

ウズベキスタンに来て一番最初に訪れたマドラサなので、非常に強く印象に残っています。
いかにもイスラム様式といった感じの美しい建物に、この先の旅行を期待して胸を躍らせたものです。

マドラサ裏手の丘の上にはジャミー・モスクがあります

マドラサ裏手の丘の上には15世紀に建てられたというジャミー・モスクがあり、金曜日には大きな礼拝が行われています。
銀色のうろこ状の屋根が美しいモスクです。

ウズベキスタン歴史博物館

ウズベキスタン歴史博物館は、ウズベキスタンの首都タシケントの新市街にあります。
私が宿泊したタシケントパレスホテルのすぐ近くでした。

中央アジアでは最も大きい博物館で、ウズベキスタンの歴史を大まかに知ることができます。
古くは石器時代から、最近ではロシア帝国の征服以後の歴史までです。

一階はエントランスで特に展示物は無いので、邪魔な荷物を預けて、さっさと見学に行きましょう。

二階には石器時代からの鏃や土器、人骨、ゾロアスター教寺院の復元模型などが展示されています。
博物館のイチオシは、テルメズ近郊のファヤーズ・テペ遺跡から出土したクシャン朝時代の仏像で、穏やかな癒し系の顔立ちをしています。

三階はロシア帝国の征服以後の歴史、独立後の展示品が置かれていて、現代の産業についても見ることができます。

私たちの他に見学客はほとんど無く、内部はとても静かでした。
儲かっているのかと、ちょっと心配になるくらいです。

この博物館を見学した時はお腹の調子が非常に悪かったので、外観の写真を撮る余裕もなく(内部の撮影は有料)、展示物もうろ覚えです…。
ただ、トイレがとても汚かったことだけははっきりと覚えています!
紙も置いてなくて大ピンチに陥り、とてもココには書けないような方法でなんとかピンチを乗り切りました。

タシケントで見かけた女の子と猫です

なんか最後に汚い話になってしまったので、街で見かけた女の子と猫の写真で清涼感を取り戻してください。

独立広場

ソビエト連邦から独立して作られた独立広場です

ウズベキスタンは1991年8月31日にソビエト連邦から独立し、それを記念して作られた広場が、首都タシケントにある独立広場です。
ゲートの上に飾られている3羽の鳥のオブジェは、ウズベキスタンの国章にもある、空想上の鳥フマでしょうか?

ウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェです
優しい表情の母子像です

中央付近にはウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェがあり、その下には愛情を表す母子像が置かれています。
かつて『赤の広場』と呼ばれていた頃には、地球儀ではなくてレーニン像が置かれていたそうです。

訪問した日は非常に天気にも恵まれ、大勢の小学生が母子像に花を添えたりしていました。
ガイドブックなどにはあまり紹介されていませんが、花や緑、噴水がとても奇麗な公園なので、タシケントでちょっと時間ができたら行ってみて下さい。

独立広場の近くに真っ白でキレイな建物がありました

独立広場の近くには、このような真っ白でキレイな建物がありました。
ガイドの人は「ホワイトハウスだ」と言っていた覚えがあります。
大統領官邸ってコトでしょうか?

大統領府なのでしょうか?

隣の建物を「大統領府だ」と言っていた覚えがあるので、そのような国の機関が集まっている場所なのでしょう。
警備員の人たちも物々しく立っていましたし。

カファリ・シャーシ廟

銀色のドームが印象的なカファリ・シャーシ廟です
カファリ・シャーシは神学者かつ詩人でした

ウズベキスタンの首都タシケントの郊外にある10世紀の聖人の廟、カファリ・シャーシ廟です。
1541年に建築された、銀色のドームが非常に印象的な廟です。

カファリ・シャーシという人は神学者かつ詩人で、その墓をお参りするとご利益があると言われているそうです。
このときは扉に鍵が掛かっていて、中に入ることはできませんでした。

入り口をくぐるとき必然的に頭を下げることになります

正面の入り口の前には人の背丈よりも小さなゲートがあり、廟に行くにはこのゲートをくぐるため、必然的に頭を下げることになります。

カファリ・シャーシ廟の周囲には花もたくさん咲いていて、お墓なのに爽やかな感じのする場所でした。
回りは閑静な空き地がほとんどでしたが、唯一ほぼ向かいにイスラムの高等教育機関であるイマーム・アリ・ブハーリ学院があり、今でも授業が行われています。

なお、カファリ・シャーシ廟やバラク・ハーン・マドラサがあるこの辺りはハシュト・イマームといわれ、宗教が禁じられていた旧ソ連時代でも唯一イスラム活動が認められていた地域だそうです。

バラク・ハーン・マドラサ

タシケントの郊外にあるバラク・ハーン・マドラサです
バラク・ハーン・マドラサはめずらしい一階建ての神学校です

ウズベキスタンの首都タシケントの郊外にあるバラク・ハーン・マドラサ(バラク・ハーン・メドレセ)です。
1531年にシャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた、めずらしい一階建ての神学校です。
このマドラサには、ソ連時代に中央アジアのイスラムの本庁が置かれていて、イスラム教全般を管轄していました。
ソ連からの独立後は、中央アジアの国々はそれぞれにイスラムの本庁を持っています。

バラク・ハーン・マドラサの内部は明るくて清潔な感じです
庭には謎の手型が押された石がありました

中庭にはバラ園があり、また部屋の内部もちょっと覗くことができました。
部屋の中に存分に太陽の光が入って来る、明るくて清潔な感じがするマドラサでした。
あと、庭には謎の手型が押された石がありました。

バラク・ハーン・マドラサの向かいにはハシュト・イマーム・モスクというモスクがあります。
モスクの中には図書館があり、世界最古のコーランといわれる7世紀のオスマン・クラーンを始めとして、各国語に翻訳されたコーランがあります。
オスマン・クラーンは羊皮紙で作られていて、大きさは広げると幅1mくらいの巨大なものでした。
なおオスマン・クラーンはビビハニム・モスクの巨大書見台に置かれていたそうです。
ちなみにオスマン・クラーンの写真撮影は有料でした。
私はひどい腹痛でそんな気分でもなかったので、写真は撮りませんでした。

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